12月1日(月)
ボヤボヤしているうちに12月に突入した。
別に毎日サボって過ごしているわけではないしむしろあくせく頑張っている。
でもなんだか時間が過ぎていくことに焦りを感じる。
たぶん、目の前にぶら下がっているやっつけ仕事は必死に片付けているけど、長いスパンで取り組みたいと内心思っている事柄にはちゃんと取り組めていないんだと思う。
取り組めていないから何も進展がなく焦りを感じるんだと思う。
私が長いスパンで取り組みたいと思っている事柄はとりあえず以下のことだ。
・住んでいる家の断捨離
・たるみ出した身体の引き締め
・資産運用
・私服の見直し&アップデート
・ピアノ演奏でペダルを使えるようになりたい
・人生後半戦の目標を立てる
特に1項目目の「家の断捨離」は体力も筋力もある40代のうちにバリバリ進めておきたいところだ。
が、同居の母が障壁として立ちはだかっているし、嫁いだ姉妹たちの荷物も大量に残置されている。
自分本位で進めることができない。
焦れる。
これはいずれ時が来るのを待つしかないか。
2項目目以降はよく見たらワクワクする内容ばかり。
運動はもともと好きだしその結果引き締まったら嬉しい、資産運用も希望を感じる、おしゃれも楽しい、ピアノの演奏技術が向上したら嬉しい、将来の見通しを立てると安心できる。
なんだ、焦る必要はないか、と感じる。
自分の現在地点もそんなに悪いものではないか、とも思う。
12月2日(火)
小学校高学年の我が子。
私の母親は子供の成長の過程で大事な話を何もしない人だったので、母親を反面教師とし、私は子供との言葉によるコミュニケーションを大切にしている。
だから子供とは十分分かり合えていると思っていた。
でも最近子供が明かした胸の内にびっくりしてしまった。
それは数年前のこと、子供が寝た後に私が隣室でパソコン作業などをしていた時、実は子供は目を覚ましていて「お母さん私に秘密で何かしてる」とぬいぐるみを抱きしめ泣いて耐えていたという。
そんなの「お母さん私起きてるよ!!」って声かけてくれたらいいいじゃん、と言いたいところだが甘えたい気持ちと母親の邪魔をしてはいけない気持ちが混ざり合い、結局耐えてしまったそうだ。
私としては子供が寝たからちょっと作業を…という気軽な気持ちだったが、子供からすれば母親の普段とは違う一面に大いに不安を掻き立てられたらしい。
つくづく子供にとって母親って大きな存在なんだと思う。
ほんとに責任重大だ。
これまで何度か”このぬいぐるみで涙を拭ったことがある”と私にいわゆる”匂わせ発言”をしており、ああずっと心に引っかかっていて詳しい顛末を明かしたかったんだなと思う。
大人からすればそんな些細なこと、と思える出来事でも大切に心の内に抱えていたのがいじらしい。
でもよく考えれば”子供にとっては”とか”大人にとっては”とか、そんな線引きは存在しないのかもしれない。
子供だってびっくりするほど深く考えているし、大人になっても嫌になるほど些細なことで傷付くし。
だから改めて、子供の考えや言葉にしっかり耳を傾けようと思った。
12月3日(水)
自宅の固定電話の調子が悪い。
悪いというかすでに壊れて不通になっている。
とはいっても各自携帯電話を持っているので外部との連絡手段はある。
だから数週間黙殺してきた。(日常生活をこなすだけで手一杯だし)
今日の夕方、母親が「友達がいらないってくれた」と中古の電話機をもらってきた。
買わなくて済むなんてありがたい!!
と言いつつ私は夕食作りに取り掛かる前の貴重な15分間をピアノの練習に充てようとピアノの前に座る。
ピアノは私の精神安定剤だ。
そんな私のすぐ近くで母親がもらってきた電話機をなんとか接続しようと苦戦し、
「これでいいのかな」「あれ」「この線つないだけど」などなど大きな声量でしゃべっている。
「それ後で見るから…」と声を掛けると「ああ独り言やし気にせんといて!!」と半ばキレ気味に返される。
一気に心が鉛のように重くなる。
たった15分間でいい、15分間だけは自陣にこもっていたかったんだけど。
ま、私の勝手だけどさ。
気持ちを立て直して予定通り15分間だけ練習し、その後電話機を見てみた。
どうやら受信はできるけど発信ができない。
やっぱり新しい電話機を買うしかないか。